2013.03.08 森田芳光
映画人02
episode.04



天才監督の早すぎる別れ…
森田02


森田  日大芸術学部時代から自主映画を制作し「ライブイン茅ヶ崎」がぴあフィルムフェスティバルのPFFアワードに入選。81年「の・ようなもの」で商業映画デビューを果たし、若手監督の登竜門だった「にっかつロマンポルノ」で腕を磨く。松田優作を主演にむかえた「家族ゲーム」で芸術選奨新人賞などを受賞し、高い評価を得ます。製作総指揮を務めたオムニバス映画「バカヤロー ! 私怒ってます」では、当時新人だった中島哲也監督や堤幸彦監督を起用する事に、夏目漱石の「それから」や向田邦子の「阿修羅のごとく」といった文学作品や、宮部みゆきの「模倣犯」といったベストセラー小説の映画化も多く、渡辺淳一原作の「失楽園」は大きな話題となりました。オリジナル脚本の作品では、インターネットを通じての男女の出会いを描いた「ハル」や、お金を題材にした「わたし出すわ」で時代を先読みするような物語で個性を発揮した。11年12月20日、急性肝不全のため急逝。享年61歳。「僕達急行A列車で行こう」が最後の作品となる。[映画.comより]



たをごと02
 自らを「流行監督」言い、様々なジャンルに挑戦した日本映画界の巨匠が、昨年無くなりました。61歳…早すぎます。彼の創る映画は、ワタシたちの映画鑑賞時期に重なります。日本映画低迷と言われた時期に、ひとつの分野に止まらず、常に挑戦する製作姿勢は日本映画ファンを魅了しました。


数ある作品から、ワタシが一番好きなのは…
の・ようなもの 1981年日本

の01
 
 二ツ目の落語家、志ん魚は23歳の誕生日志ん米はじめ仲間の援助で初めてソープランドに行きました。志ん魚についたエリザベスは初々しい彼に興味を抱き、二人はその日からデートを重ねた。彼女はペンギンブックスを読むようなインテリでした。数日後、そんな志ん魚に女子高の落研に所属する女の子たちがコーチを依頼に来ました。(後は映画を観て下さい)


の02デビュー作にして、
最も魅力的な名作。
 
 志ん魚が、夜と朝の間4時に都内を歩くシーンは、今でも鮮明に覚えています。当時このシーンを見て、森田監督が大好きになりました…。そして、各賞を総なめにした「家族ゲーム」あの横一列テーブルは、時代の象徴でした。その時々の時代背景とのオーバーラップが、流行監督森田芳光氏なのです。

素晴らしい日本映画ありがとうございました。






※肝心の映画は…
8点



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