いつかみた映画
【其の百五十】



鈴木清順浪漫三部作 第1弾
ツィゴイネルワイゼン
1980年 日本(ATG)



鈴木01

 ドイツ語学者、青地豊二郎と友人の中砂糺の二人が海辺の町を旅していた。二人の周囲を、老人と若い男女二人の盲目の乞食が通り過ぎる。老人と若い女は夫婦で、若い男は弟子だそうだ。青地と中砂は宿をとると、小稲という芸者を呼んだ。中砂は旅を続け、青地は湘南の家に戻る。歳月が流れ、青地のもとへ中砂の結婚の知らせが届いた。中砂家を訪れた青地は、新妻、園を見て驚かされた。彼女は、あの旅で呼んだ芸者の小稲と瓜二つなのである。その晩、青地は作曲家サラサーテが自ら演奏している1904年盤の「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを中砂に聴かされた。この盤には演奏者のサラサーテが伴奏者に喋っているのがそのまま録音されている珍品だそうだ…。(後は映画を観てください)



鈴木05

カルトな鬼才・鈴木清順の傑作
 狂気にとり憑かれた男女を幻想的に描いた作品。夢と現の交錯する物語が妖しく美しい極彩色の映像の中で展開される清順美学のひとつの到達点。鈴木清順監督を代表する傑作のひとつ。ドーム型移動映画館“シネマ・プラセット”で製作・上映されたことでも話題になりました。



鈴木02


たわごと03
鈴木清順、浪漫三部作のはじまり…。
 公開時に様々な賞を取るなど大変評価も高く、この手の映画としては珍しくヒットした作品でした。我が街、徳島でも確か鈴木清順監督を招いての上映会が開催され、もちろん当時の映画少年は、胸躍らせて観に行った記憶が…、そうあれからもう37年。日本映画の巨匠・鈴木清順も逝ってしまいました。確かにその上映会でも、既におじいちゃんでしたね。(スミマセン) そして肝心のこの映画は、非常に不思議な映画。初期の代表作「殺しの烙印」とか「けんかえれじい」等は、知りませんが、この映画を観た時は、後ろから思いっきりどつかれた感覚。よくわからないと不思議なエロさ、そしてラストの衝撃。名優原田芳雄と名匠藤田敏八の不思議な掛け合い…、映画とはなんだ、エロスとはなんだ?まだ純な映画少年年は、心悩まされた映画でした。


鈴木03


 「清順美学」と呼ばれた独特の映像作家
鈴木06

鈴木清順監督死去、93歳 「巨匠がまた消えた」
 「東京流れ者」や「けんかえれじい」、「ツィゴイネルワイゼン」などの作品で人気を集め、「清順美学」と呼ばれた独特の映像美で映画青年たちに熱狂的に支持された映画監督の鈴木清順(本名・清太郎)さんが、2017年2月13日に死去していたことが22日、明らかになった。晩年は俳優として、後輩の監督作品などに登場することもあった。NHKの元アナウンサー鈴木健二さんは実弟。1923年、東京生まれ。旧制弘前高校(現弘前大学)に進み、学徒出陣でフィリピン、台湾を転戦し、陸軍大尉で終戦を迎える。復員後、東大受験に失敗し、映画製作の世界へ。
 59年、赤木圭一郎のデビュー作「素っ裸の年齢」、63年には小林旭出演の「関東の無宿」、64年、野川由美子出演の「肉体の門」、66年には渡哲也出演の「東京流れ者」、高橋英樹出演の「けんかえれじい」など、主に青春スターを主役に、アウトロー的な雰囲気に満ちたヒット作を連発した。大半の作品に美術監督として木村威夫が関わっており、二人のセンスがモダンで新鮮な色彩感覚と、テンポのよい映像リズムを作り出し、「清順美学」と称された。
 68年、所属していた日活首脳部と対立、フィルム貸出を拒否され、解雇。これに抗議したファンや映画関係者は「鈴木清順問題共闘会議」を結成、デモを行うなど、一時は社会問題に発展した。
 77年、「悲愁物語」でカムバック。80年「ツィゴイネルワイゼン」でキネマ旬報ベストワン、日本アカデミー賞最優秀賞作品賞及び監督賞を獲得。ベルリン国際映画祭審査員特別賞を受賞するなど、国際的にも高く評価された。翌年の「陽炎座」もキネマ旬報ベストテン3位に入賞した。84年にはアニメ「ルパン三世」の劇場版「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」も監督した。
 90年の「夢二」で、「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」と続く大正三部作が完成。2001年、10年ぶりに撮った「ピストルオペラ」はヴェネツィア国際映画祭で「偉大なる巨匠に捧げるオマージュの盾」を受賞。05年の大作「オペレッタ狸御殿」は、カンヌ国際映画祭で栄誉上映特別招待作品として招待された。(JCASTニースより)


※カッパの勝手な採点は…、
お疲れ様です…、ありがとうございました。

8点




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