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2014.11.26 カティンの森
カッパのみなソン

Selection vol.540



明日を生きていく人のために…
カティンの森 2007年 ポーランド



カティン01

 1939年9月、ポーランドは密約を結んだナチスドイツとソ連によって分割占領されてしまいます。ソ連側では多くのポーランド人将校が捕虜となり収容所へと送られた。その中にはアンナの夫アンジェイやその友人イェジも含まれていました。一方、ソ連領に取り残されていたアンナと娘ニカは、1940年春にようやく国境越えに成功、アンジェイの両親のもとへと戻る事に…。しかし、そこに義父の姿はなかった。彼はドイツ軍に逮捕され収容所で命を落としてしまう。アンナは義母と娘と3人でアンジェイの帰りを待ち続け、そんな中、1943年4月ドイツ軍はソ連領のカティンで多数のポーランド人将校の遺体を発見したと発表…。(後は映画を観て下さい)



カティン02

 第二次大戦下、ナチスドイツとソ連の両方から侵略され両国に分割占領されたポーランド。そんな中、ソ連の捕虜となったポーランド人将校のうち1万数千名の行方が不明となり、後にソ連によって虐殺されていたことが判明しています。いわゆる「カティンの森事件」と呼ばれるこの悲劇は、ソ連の支配下にあった冷戦時代のポーランドにおいて語ることの許されないタブーとされてきました。本作は自らの父親もこの事件の犠牲者の1人であるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督がそんな歴史的犯罪に改めて光を当てるとともに国家の欺瞞に翻弄される犠牲者家族の苦悩を描き出す入魂の人間ドラマです。


たわごと03
歴史的犯罪に改めて光を当てる…。
 この映画を「たわごと」で、語るには余りにも失礼です。たまたま見た「Yahoo知恵袋」に素晴らしい解説を見つけました。引用させて頂きます。
 
Q : カティンの森事件というのがありますが、なぜ、ソ連(おそらく)は、そのような事件を起こさなければならなかったのですか? つまり、なぜポーランドの人間を大量に虐殺しなければならなかったのですか?

カティン03

A : カチンの森事件も、ソ連が敵対していたイギリスが承認していたロンドン亡命政権の作った軍隊の将校達だったからです。ソ連は第二次大戦後、ポーランドに共産主義を築きソ連の作った共産党のルブリン政権をポーランドに植え付けようとしていました。それには資本主義陣営のイギリスが承認したロンドン亡命政権が作った軍隊を無くす必要がありました。そこでドイツと共謀してポーランドを分割し、ポーランドの将校達を虐殺しました。第二次大戦中ポーランドの首都ワルシャワにはロンドン亡命政権の部隊がありました。そこで、ワルシャワの部隊にドイツに対して蜂起を呼び掛け(ワルシャワ蜂起)、ドイツと戦闘を開始させます。しかし、ソ連軍は全くこの戦いには参戦せず、援助のないワルシャワの部隊は次第にドイツ軍に圧倒される様になり、20万人近くの犠牲者が出ました。ドイツにロンドン亡命政権の部隊を殲滅させたのです。その後ソ連軍はドイツ軍を撃破し、ソ連が作ったルブリン政権を伴って、ポーランドに共産主義を植え付けました。要するに、カチンの森事件もワルシャワ蜂起もソ連が戦後、共産主義を植え付けるのに邪魔な存在を消したのです。


ちょつと01
アンジェイ・ワイダで学ぼう…
 第二次世界大戦中はレジスタンス活動に従事、戦後は絵画を学びつつ、国立映画大学演出科に入る。助監督を経て54年の「世代」で監督デビューを果たす。続く「地下水道」「灰とダイヤモンド」とあわせて「抵抗三部作」と呼ばれ、反ナチズムを核に据えつつもスターリニズムによるポーランドの悲劇を暗示したものだった。以後は文学の映画化や虚空の世界を描くようになるが、81年の戒厳令で映画人協会会長の座を追われ祖国での映画製作ができなくなりフランスやドイツの協力で作品を撮りつつ、86年の「愛の記録」でポーランド映画界に復活した。

カティン05

※カッパの勝手な採点は…、
まずは「灰とダイヤモンド」を見直そう…

8点





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