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2013.12.20 レベッカ
いつかみた映画
【其の七十二】

ヒッチコックの渡米第1作となったゴシックロマン。
レベッカ 1940年 アメリカ



レベッカ01

 ヴァンホッパー夫人の付き人としてモンテカルロのホテルにやってきた「私」は、そこでイギリスの大金持ちであるマキシムと出会います。マキシムは1年前にヨット事故で前妻レベッカを亡くしていました。彼女はマキシムの後妻としてイギリスの彼の大邸宅へ行く決意をします。多くの使用人がいる邸宅の女主人として控えめながらやっていこうとする彼女でしたが、かつての使用人で邸宅を取り仕切るダンヴァース夫人にはなかなか受け入れてもらえない…。次第に前妻レベッカの見えない影に精神的に追いつめられて…。(後は映画を観て下さい)



レベッカ04
ハリウッドでも、ちゃっかりと出ています。


たわごと03
セルズニック vs ヒッチコック
 母国イギリスで「三十九夜」や「バルカン超特急」などの質の高いサスペンス映画を手掛けて大きな成功を収めたアルフレッド・ヒッチコックを世界的名プロデューサー、デビッド・O・セルズニックがハリウッドに招いて撮らせたアメリカ進出第1作てす。しかし、ハリウッドの撮影スタイルを嫌ってヒッチコックは、イギリス時代に慣れ親しんだ、彼らしい製作スタイル…、脚本段階で主要な場面を設定しそれぞれの場面にセリフ、アクション、キャメラの位置などを細かく指定して不要なシーンを撮らない方法で撮影を行うことを主張しセルズニックの対立した事でも有名な作品です。

それでもヒッチコックらしい名作。


レベッカ000


ちょつと01
ジョーン・フォンテインさんの死…。
 〈シネマトゥデイ映画ニュース〉映画『断崖』でアカデミー賞主演女優賞を受賞した女優ジョーン・フォンテインさんが、15日、カリフォルニア州カーメルの自宅で老衰のため96歳で亡くなった。ジョーンさんは、1917年、父親が東京帝国大学で教べんを取っていたため東京の虎ノ門で生まれた。小さい頃、虚弱体質だったジョーンさんは、カリフォルニア州のサラトガで育つが、その後両親が離婚し14歳の時に再婚した父親が住む日本を訪ね、日本のアメリカンスクールと聖心女子学院に通った。その後、アメリカに帰国して1935年に舞台デビューを果たすと、映画配給会社RKOと契約を結び映画界にも進出。そして、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「レベッカ」で注目され「断崖」ではアカデミー賞主演女優賞を獲得した。ジョーンさんの姉は映画「風と共に去りぬ」でメラニーを演じた女優オリヴィア・デ・ハヴィランド。映画出演をめぐって姉とのライバル関係も有名だった。

ご冥福をお祈りします。




※肝心の映画は…、
私的にはヒッチコックベスト3に入る作品です。
8点半




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