映画人02
episode.10


けんま01

幻魔大戦 1983年日本
 大宇宙の破壊を企む暗黒の支配者、幻魔と戦う地球の各地から集まった、エスパーたちの活躍を描きます。もちろん原作は日本を代表するSF作家平井和正、そして石森章太郎の同名の原作のアニメーションで、脚本は「宇能鴻一郎の姉妹理容室」の内藤誠、「HOUSEハウス」の桂千穂、真崎守の共同執筆、監督は「さようなら銀河鉄道999」のりんたろうがそれぞれ担当。


げんま02

さよなら平井和正。
 SF作家の平井和正さん 死去(1月18日 20時30分)ベストセラーとなった「幻魔大戦シリーズ」や「ウルフガイ・シリーズ」などで知られるSF作家の平井和正さんが、17日夜急性心不全のため神奈川県内の病院で亡くなりました。76歳でした。平井さんは昭和13年に神奈川県横須賀市で生まれ大学在学中に作品がコンテストで入賞したのをきっかけに作家としてデビューしました。原作を担当した漫画「8マン」はその後、テレビアニメ化されて大ヒットしたほか「狼の紋章」など「ウルフガイシリーズ」は、若い世代の人気を集めました。中でも石ノ森章太郎さんと共作した漫画「幻魔大戦」は、その後に小説も手がけるなど平井さんのライフワークとなりシリーズで合わせて2000万部を超えるベストセラーになったほか、昭和58年には漫画家の大友克洋さんがキャラクターデザインを担当したアニメ映画も上映されるなど、人気作家として活躍しました。超能力者や奇怪な生物などが登場する平井さんの劇画的な作品は、後の世代の日本のSF作家にも影響を与えました。平井さんの長女によりますと、平井さんは去年夏ごろから体調を崩し、入退院を繰り返していましたが、17日夜、急性心不全のため神奈川県鎌倉市内の病院で亡くなったということです。〈NHK NES webより〉


げんま004

また一人…。
 また一人、日本を代表する作家が亡くなりました。平井和正先生。ワタシ達の世代より少し上なのかも知れませんが、誰もが知るSF作家ですね。ワタシも高校生の頃、彼の代表作的な「サイボーグブルース」を読んで、感銘した事を鮮明に憶えています。そして、角川超大作アニメ「幻魔大戦」。流行りました「アルマゲドン」、そして超能力戦争。大友さんの素晴らしいキャラクターと石ノ森先生の世界観が凄く印象的です。




※カッパの勝手な採点は…、
アトムより、8マンが好きです。
カッパ採点7点





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映画人02
episode.09



川北01


川北紘一さん死去。 
平成ゴジラシリーズを手がけた特撮監督

 映画「ゴジラvsキングギドラ」などの平成ゴジラシリーズを手がけた、特撮監督の川北紘一さんが12月5日、肝不全で亡くなった。72歳だった。葬儀は近親者で行った。後日お別れの会を開く予定。東宝に入社し「特撮の神様」といわれる円谷英二さんに師事。1972年にTV特撮番組「ウルトラマンA」で初めて特撮を担当した。その後、1991年に映画「ゴジラvsキングギドラ」で日本アカデミー賞特殊技術賞を受賞。92年には、映画「ゴジラvsモスラ」で第38回アジア太平洋映画祭特殊効果賞を受賞した。【huffingtonpostより】


川北02

知らなかった…。
 恥ずかしながら、しろくろShow のブログを読ませて頂くまで、川北監督の早すぎる死は知りませんでした…。平成ゴジラを支えた日本、いや世界を代表する特技監督。ワタシの大好きな「ゴジラvsビオランテ」から、平成ゴジラの特技監督として、大森監督をはじめ、多くのゴジラ監督を支えてきました。平成ゴジラのあの勇壮なフォルムと存在感。映画の出来映えは兎も角、カッコいい、ゴジラらしいゴジラをしっかりと魅せてくれました。


川北0031942年12月5日 東京生まれ。
東宝株式会社入社。
特殊技術課。特殊撮影係を経て円谷英二特技監督・有川特技監督・中野特技監督に師事。
1972年「ウルトラマンA」で特撮を初演出。1976年「大空のサムライ」で劇場映画を初演出。1989年「ゴジラvsビオランテ」で待望のゴジラ特撮を担当。1991年「ゴジラvsキングギドラ」で日本アカデミー賞特殊技術賞を受賞。1992年「ゴジラvsモスラ」で第38回アジア太平洋映画祭特殊効果賞を受賞。
その他、数多くの作品を手掛ける…。


笑顔が素敵です !
 本当に素敵でした…、と書かなければいけませんね。でも上の写真を観て下さい。失礼ですが、とっても「良い顔」をされてます。日本人の憎悪を背負ったゴジラの形相とは相反して川北監督の「笑顔」が大好きです。厳しさと優しさを持つブレない真の強さを感じさせてくれます。ワタシ達ファンにとっては、ゴジラの様に大きな存在でした。


川北04

ゴジラより愛を込めて…、
本当にありがとうございました。

実は「ゴジラ対ヘドラ」も大好きです。






2014.12.03 菅原文太
映画人02
episode.08



菅原01

俳優の菅原文太さん 死去…
菅原03

 【NHK NWWS webより】映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」などのシリーズで知られ昭和の映画界の最盛期を支えた日本を代表する俳優の菅原文太さんが先月28日転移性肝がんによる肝不全のため東京都内の病院で亡くなりました。菅原さんは、仙台市で生まれ雑誌のモデルを経て昭和33年に俳優としてデビューしました。昭和48年に第1作が公開された深作欣二監督の映画「仁義なき戦い」で自分の信念を貫き通す、すごみのあるヤクザを演じて強烈な印象を残し一躍トップスターになりました。また昭和50年からは「トラック野郎」シリーズで恋愛に不器用で義理・人情に厚い「一番星」という愛称のトラック運転手を演じ人気を集めました。その後も「太陽を盗んだ男」や「ビルマの竪琴」など数多くの映画に出演したほか、NHKの大河ドラマ「獅子の時代」「利家とまつ」などテレビでも存在感のある演技で親しまれました。さらに菅原さんは平成13年に公開された宮崎駿監督のアニメーション映画「千と千尋の神隠し」で初めて声優にも挑戦しました。徐々に俳優の仕事を減らしてきた菅原さんは、農業に力を入れ平成21年には山梨県に農業生産法人を設立し有機農業に取り組んだほか、都会を離れ地方で生活しようという人を支援する、NPO法人「ふるさと回帰支援センター」の顧問として地方で生活する魅力を紹介する活動などを続けていました。また、東日本大震災のあとは、原発事故など日本が置かれた現状に心を痛め俳優の引退を決めたうえで、脱原発を呼びかける活動や、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に反対する集会に参加するなど、社会的な活動にも力を入れてきました。菅原さんは、平成19年にぼうこうがんを患い治療を受けていましたが、先月28日の午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため東京都内の病院で亡くなりました。


菅原02


たわごと03
また1人昭和の名優が逝ってしまいました。
 高倉健さんの後を追うように、男・菅原文太氏が亡くなりました。映画を愛する1人として本当にこの2人の死は、ひとつの時代が終わったような淋しい気配を感じさせます。そして、どうしてもワタシの大好きな日本映画の名作「太陽を盗んだ男」〈←自分リンクでスミマセン〉が瞼に映されます。もちろん彼の代表作「仁義なき〜」シリーズは日本史に残る名作ですが、ワタシ的には長谷川監督の幻の名作と言われるこの作品が忘れられません。文太アニキが亡くなって不謹慎かも知れませんが、BSで是非ともHDヴァージンの「太陽を盗んだ男」を追想放映して欲しいものです。


※太陽を盗んだ男は…
9点訂正






2014.11.21 高倉健
映画人02
episode.07



高倉02

 ワタシ事ながら、毎度恒例の「風邪」ひきました…。たぶん、きっと、絶対 ! この前の「テンプルステイ」。寒い本堂でのお勤め、不謹慎な夜の宴会(ナイショです)。そんなこんなで、やっぱり風邪引きました。こんな不謹慎なワタシが、今更書くのか…、と思いながらも、やはり書かねば、と思う「想い」で、書かせて頂きます。


高倉03

 また一人、偉大な 映画人〈←自分リンクでゴメンね〉 が、逝ってしまいました。ワタシの母親と同い年の83歳。そう考えると、やっぱり世間ではお爺さん。しかし、映画での健さんは、お爺さんではなく、紛れも無く「男」でした。そんな健さんが残してくたれ映画た多々ありますが、ワタシが忘れられない映画…。と言うより「シーン」は、あの山田監督の「幸福の黄色いハンカチ」〈←またまた自分リンクでゴメンね〉のあのワンシーン。そう、今日も特番で紹介されていましたが、出所してきた健さんが、鄙びた食堂でビールを飲み干しラーメンとカツ丼を旨そうに食べるワンシーン…。(ぜひ観て下さい)



高倉01

健さん、あなたは…。
 追悼特番を観て、はじめて知りました。このシーンのために健さんは、丸一日絶食して挑んだらしいです。たった15秒のワンカットのために…。これが映画、そして真の俳優。ワタシが、この映画を始めて劇場で見たのは、確か高校2年生の頃、そして、この映画で本当にたくさんの事を学んだ気がします。もし映画が、学校だとすれば、高倉健さん、あなたは、映画の先生 です。本当にお世話になりました。日本人はあなたの事が大好きです!!





映画人02
episode.06



大林

 1938年広島県尾道市生まれ。3歳の時に自宅の納戸で出合った活動写真機で個人映画の製作を始める。上京後、16mmフィルムによる自主製作映画「伝説の午後 いつか見たドラキュラ」が、画廊、ホール、大学を中心に上映されジャーナリズムで高い評価を得る。「喰べた人」はベルギー国際実験映画祭で審査員特別賞を受賞。この頃からテレビコマーシャルの草創期に本格的に関わり始め、チャールズ・ブロンソンの「マンダム」ソフィア・ローレン、カトリーヌ・ドヌーヴなど外国人スターを多数起用、その数は2000本を超える。77年「HOUSE」で、劇場映画にも進出。同年の「瞳の中の訪問者」と共にブルーリボン新人賞を受賞。
 故郷で撮影された「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は「尾道三部作」と称され親しまれています…。(後省略)


大林01


たわごと03
行ってきました、野口久光展。
 楽しみにしていた「野口久光シネマグラフィックス 魅惑のヨーロッパ映画ポスター展」。会場は京都文化博物館。徳島から京都はクルマで約2時間30分。大林監督の「特別講演会」が朝10時30分から(はや過ぎ)…。何とか間に合いました。そして、何と大林監督と博物館玄関ではち合わせ、失礼ながらオンタイムでの会場入りでした。そして、いよいよ監督のやさしい講演会…。久しぶりです、そしてパワーを頂きました。御年76歳…、確かに年を重ねられました。2年前に心臓の手術を受けられ、以前よりも声のチカラが…、と思ったのは間違いでした。声量は兎も角、監督の優しくて、力強い「映画への想い」と、野口久光氏への敬愛が降り注いだ、魂の90分。なんと映画「ふたり」の名曲、「草の想い」を口ずさむサービス。そして、最後はお得意の「ターザン」の遠吠え。大林監督お疲れさまでした。そして「お楽しみはこれから」ですね !


大林02


ちょつと01
好きなものには、引力がある…。
 以前にも書かせて頂きましたが、ワタシと野口さんとの出会いは、街の小さな本屋さんで見つけた一冊の絵葉書集でした。また若かったワタシ、そして商業デザインを芸術と無理矢理位置づけていたあの頃、決してオシャレでもなく全てがアナログ(手書き)。当時のワタシと全く相反した、彼の画集。それでも何故か気になる存在に…。そして、何時しか、野口さんが大林映画のポスターを描いたら…。と思うようになりました。そんなある日(確か1990年)。大林ファンの聖地、ジャズ喫茶TOM(尾道)で見た、一枚のポスター、そう新尾道三部作の「ふたり」のポスター…。
もちろん、鳥肌が立ちました…。


大林03

監修された、根本隆一郎さんに感謝します。